うらすじなしのそういうおみせ

「スジナシ」を久しぶりに全部見た。ゲストは劇団ひとり。やっぱり、お互い芸人という事もあってか、まずその勘の鋭さにビックリ。その辺の役者さんよりぜんぜん呼吸が出来てる。演技とはいえアドリブのみで構成されてる空間では瞬発力に長けている人、とっさの判断が求められる場所に慣れている人の方がより完成されたモノに仕上がるんだなぁ。
劇団ひとりという芸人は社会や世間で認められずにいる人間を描かせたら、凄いトコにいるんじゃないかなと。ロバート秋山友近ほどデフォルメをせず、決まったパターンの踏襲もせず、ただ淡々と奇人を演じるそのカッコ良さ。やっぱいいなぁ。
で、見てて思ったんだけど、やっぱ僕はセリフを一言一句残らずその通りに演じるよりも、ある程度の制約の中で自由に遊べる環境に憧れるなぁ。全く同じセリフを全く同じように言うのに疑問を感じてしまうんだよなぁ。やっぱ、その時の相手によって変わる事だってかなりあると思うし。そりゃあ全てのセリフを変えるのは明らかにオカシイだろうから、そんな事はしないけども、普段の稽古がそのまんま出るなんて事はドコにも存在しないんじゃないかなぁ。基礎的なチカラを付けて本番の安定度を高めるためなんじゃないかなぁ。ん〜、ま、伝わらなければそれでいいっす。